いしかわコラム

福授園の園長、石川治樹による雑記。福祉や社会について、日々感じていることを不定期で記していきます。

メタバースの手法を使って全国障がい福祉物産展および研修会を実施して2023.08.24 更新

メタバースイベント

みなさん、いきなりですが「メタバース」ということばをお聞きになったことはありますか?メタ(超越した)+ユニバース (宇宙) を表す造語であり、インターネット上の仮想空間で、自分の分身であるアバターを通して、人々が交流したりすることができるオンライン空間のことなのです。実は、この手法を使って令和5年1月23日~19日間全国障がい福祉物産展および研修会を主催側として実施した時のことをお話し致します。

さかのぼること約10年(平成24年)に岐阜県恵那市でスタートとした全国障がい福祉物産展・研修会は、全国各地の障がい福祉施設で作る地元商品や工芸品を販売し、多くの方々に商品の魅力や活動を知ってもらうことを目的に、全国各8ブロック対面式で開催されてきました。しかし、コロナの影響から中止や一部オンライン研修会のみに限定しての実施にとどまっていました。このような状況の中、北陸地区を担当していた私のところに開催当番がやってきました。

とはいうものの、コロナ感染状況が厳しい中、オンライン研修会はできても、どのような方法で人を集め、物を売るのか?余りにも高いハードルを突き付けられ八方ふさがりの状態になっていました。そのような中で、「メタバース」の手法を使えばコロナ禍においても感染リスク軽減に配慮でき、物産展・研修会共に開催できることを企画会社の担当者から詳しくレクチャーを受け、北陸地区の主要メンバーともに、「メタバースで行こう!」という思いで一致することができたのです。

研修会では、大会テーマ『コロナ禍における就労支援の新たな挑戦』とし、厚労省による行政説明、メタバース提供会社の代表、吉本興業の担当部長、北陸地区知的障害者福祉協会会長による県談「笑いと健康の相関関係について」、コロナ禍でも光を放っている優秀3事業所の取り組みについて語ってもらうシンポジウムなどを行いました。笑いあり、学び・ 気づき・感動の2日間でした。全国から320名を超える参加者が分身であるアバターになってライブエリアに集結した様子は圧巻でした。

物産展では、添付写真のように、全国の施設・事業所から35ブースが出展。各事業所がそれぞれ思い思いの店作りを行い、自慢の商品をトップに8アイテム選択して店作りを完成させ、売り上げトップを目指して販売を行いました。販売エリアでは、各事業所ごとの店舗オリジナル商品がずらりと並び、品定めする側が目移りするほどでした。 来場者は、期間中延べ5425人となり、分身となるアバターで会場を巡り、買い物や出展者との会話を十分楽しむことができました。

この全国大会は、もともと生産・就労部会ということで、参加者は関係者が中心でしたが、「メタバース」という手法を取り入れたことにより、 日中活動・入所系 ・児童など就労系以外の方や一般の方の参加も可能となりました。 障がい福祉の世界から「メタバース」の手法で『初』の全国大会を開催したことが広まり、 テレビ・新聞等メディアの取材を受けることにもつながりました。改めて、業界において『初』というのは、いろいろな意味において、注目されることを実感しているところです。

今回の全国大会の開催に向けて苦楽を共にしてきた北陸地区の主要メンバーとの関係性は、終了後も定期的に連絡を取り合いながら継続中です。県域を越え、お互いの法人事業所見学・職員交流等を行っていく予定です。

おわりに、私たちが今回の全国大会を通して「学び・ 気づき・感動」したことは素晴らしい財産であり、関係各位に感謝するとともに、風化させることなく、これからも発信を行っていきたいです。

私と障害福祉との出会いを語る 2022.10.04 更新

園長30代の写真

今から38年前、福井での厳しい就活を何とか乗り越えた私は流通の世界に身を置き目標とする先輩・上司に恵まれ、その後ろ姿を追いかけながら無我夢中で働いていました。

12年の月日が流れ、フロアの責任者として業務をおこなっていたある日のこと、一人の男性が来店されました(以下Aさん)。Aさんは何かを探している様子でキョロキョロしていました。しばらく様子をみていると、もの言いたげにこちらを見るのですが、買物をすることなくその場所から消えてしまうのでした。(通常であれば、声をかけられその場で対応となるのですが…)

同様なことが数日続いたとき、Aさんが私を見つけまっすぐ近づいてくると、声にならない、空気が抜けたような「カッ・カッ・カッ!」という音が響き渡ったのです。私は今まで経験したことのない人に遭遇したことで頭が真っ白になり、不安と「この人何者か!?」という恐怖心からAさんを置き去りにしてその場から立ち去ってしまいました。

その後もしばらくドキドキが収まらず、バックヤードでひたすら深呼吸をして自分を落ち着かせようとしたことを今でも覚えています。

その後、Aさんは聴覚に障害があり、しゃべることができない「ろうあ」の方であることがわかりました。

このAさんとの衝撃的な出会いが次のきっかけを呼ぶことになりました。 それは、私の地元の公民館が主催する、10回シリーズの手話教室の案内でした。私は迷わず申し込み、手話教室に参加しました。

基本的な会話を学び、Aさんと手話で意思疎通ができるようになることが、とても楽しく・喜びになっていきました。 ですので、私の意識の中では、Aさんは聴覚障害者ではありましたが、何らかの配慮や気遣いをしなければならないということはさほど考えなかったと思います。

私が異動により店舗が変わることを知らせた際、涙を浮かべて「さみしい・残念だね」と手話を通してしみじみと伝えてくれた時、お互いの関係性が出来上がっていたことを強く感じました。

Aさんとの衝撃的な出会いをきっかけに手話と出会い、手話サークルの代表をしながら子供たちと介護や障害者施設を訪問し交流を深めていきました。そんな中で『障害福祉』という世界に対する関心、知りたい、学びたいという気持ちが大きくなり、流通の世界から、知り合いもつてもない未知の障害福祉に飛び込んだのが37歳の時でした。

現在withコロナの真っ只中、生活様式はもちろん行動や人との関わり方にも目に見えないハードルが立ちはだかり、人との関係性において必要以上の気遣いや距離感を思うのは私だけではないと思います。このような中で、ふと私が福祉と出会ったころのことを思い返すことがあり、「私と障害福祉との出会いを語る」というタイトルで記事を書くことになった次第です。

人にはそれぞれの出会いや生き方があるように、私にもターニングポイントになる、あるご住職から言われた言葉があります。それは、「50代~60代になるといろいろな別れがどうしてもあります。ですから出会った人は大切にしてくださいね!」というものでした。この言葉を言われたのは32歳の時でしたのであまりピンときませんでしたが、自分がその年齢になるにつれご住職の言われた言葉が実感でき、前向きに考え、行動できるように努めるようになりました。

福授園も法人設立から40年が経過し、現在6市町村より212名の方々に各事業所を利用いただいております。これからも、『利用者の方一人一人の「願い」や「希望」に寄り添いながら、その思いに応え「喜び」を共有できる事業所を目指そう!』という共通目標が達成できるように努めて参ります。どうぞ宜しくお願いいたします。

記事を書いている人

石川園長

福授園園長 石川治樹 いしかわはるき

1961年、岡山県岡山市生まれ。
立命館大学産業社会学部を卒業後、福井県内の大手スーパーマーケットに就職。流通業務を中心に担うなど、およそ15年間従事する。
30代のころ、聴覚障害をもった男性との出会いをきっかけに障害福祉に関心を持つ。手話サークルの代表として活動をした後、福祉の道を志し、37歳で福授園に入職する。
当田事業所や神中事業所の所長、副園長などを経て、2020年4月、福授園の理事長兼園長に就任する。 座右の銘は「忘己利他(もうこりた)」。最近のはまりごとは「チェアリング」。